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資料・調査報告

私と監獄/田鎖麻衣子事務局長と語る

 ニュースレターに掲載されている「私と監獄」シリーズを掲載しています。

第6回堂本暁子さん

今回のゲストは、民間の立場で組織された「女子刑務所のあり方研究委員会」委員長の堂本暁子さんです。ジャーナリストとして、また、参議院議員、千葉県知事として、女性の権利や障がい者福祉の問題に取り組んだ経験を活かし、法務省への進言など活発に活動されている堂本さんに、現在、女子刑務所で起こっている問題とその改善策について、お話をうかがいました。


女子刑務所の問題から見えてくるもの

ジャーナリスト、国会議員、県知事 それぞれの視点

田鎖 堂本さんは、1989 年の参議院議員選挙に立候補される直前まで、ジャーナリストとして活動されていたんですよね?

堂本 30 年以上現役でした。色々な賞をいただいたり、ジャーナリストとして脂がのっていた時期だったので、国政に誘われてから 9 年間は断り続けたんです。当時、日本社会党は土井たか子さんが初めての女性党首になった時期で、市民派の候補者を擁立しようということで、私に声がかかったようです。ジャーナリストは、政治に対しては第三者で反体制的な立場ですから、逆の立場に立つことについてはとても悩みましたが、国会議員は自分のやりたい事に直接関われるので、やって良かったと思っています。

田鎖 そこで目的を見誤っちゃう人もいますけど(笑)、堂本さんのように信念を持っていらっしゃる方にとっては、本当に面白いお仕事なんだろうなと思います。

堂本 知事の仕事はさらに具体的で、もっと面白かったですよ。自分が関わった法律がどんどん施行されるところで知事になったから、自分がつくった法律をそのまま使うわけでしょう。私がとりわけ深く関わったのは、「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護等に関する法律(DV 法)」、「特定非営利活動促進法(NPO 法)」、「男女共同参画社会基本法」などです。ジャーナリストとして問題を告発して、国会議員として法律をつくって、こんどはそれを実際に行政でやるなんていう、そんなチャンスを与えられる人はめったにいないから、幸せでした。

田鎖 堂本さんの半生が、そのまま映画になりそうな感じがしますね。

堂本 終わってからは悠々自適のつもりだったんだけど、こんどは女子刑務所のあり方研究委員会のお仕事をいただいたんですね。議員時代ならもっと面白い活動ができたかもしれないけど、今みたいに歩いて刑務所を回ったりできないですよね。知事にしても国会議員にしても、色々なジャンルのことに関わるわけですけど、今はやりたい事だけを仕事としてやっています。

田鎖 日本の場合、法律成立にこぎつけても、施行段階で骨抜きにされることが多いですよね。刑務所行政は特に、官僚が、「通達」という形で修正してくるので。

堂本 今までは陳情される側だったけど、今は陳情に行く側です。そうすると、女子刑務所の問題にしても、ただスローガンだけを掲げて「こうして下さい」、「過剰収容だからもっと建物を建ててください」と言うだけではダメで、法律のどこをどう変えて欲しいとか、非常に専門的な陳情をしないかぎり、相手には伝わりませんね。

田鎖 抽象的にボールを投げると、抽象的にしか返ってきませんね。

堂本 「ああ、わかりました、やります」で終わっちゃうでしょう。こちら側で、専門的に細かい所まで詰めておく必要がある。そのためには、女子刑務所の問題に関心がある女性の法律家の方にご協力いただきたい、と思っています。特に田鎖さんのようなこの分野の専門家に出会うのはすばらしいことです。

田鎖 確かに、数としてはとても少ないと思います。

堂本 学者にはいらっしゃるんですよ。でも実際に裁判に関わってる弁護士さんとはまた別だと思うので。今日は会えてすごく嬉しいんです。

田鎖 「刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律」が 2006 年に施行されて、5 年後に見直しがありました。私たちは見直し時期の一年以上前から、総論的なことも各論的なことも盛り込んで「こういう問題があるから変えなければいけない」とか、法改正の具体的な提案をしていました。法律が通達レベルで骨抜きにされた部分もあれば、法律の規定自体があいまいな部分もあったからです。とても分厚い意見書を出したんですが、「見直しの検討はいたしましたが、法律の条文を変えるところはありませんでした」という答えが返ってきました。結局は、「刑事施設及び被収容者の処遇に関する規則」の一部分だけが変更されたんですね。

堂本 刑法は、改正されようとしていますよね?

田鎖 そうですね、たとえば昨年成立した刑の一部執行猶予制度は、実は以前から塩漬けになっていたものです。研究者や更生保護の現場から、本来であれば執行猶予になる人が、一部実刑、一部執行猶予という形にされて、かえって重罰化になるんじゃないか、とか、かえって監視が強まるんじゃないかという反対意見もありました。

堂本 私の直感ですけど、特に女性は刑務所が超満員で、受刑者を減らそうということで執行猶予を増やすのはいいんだけど、例えば障がいを持った人や高齢者など、本来刑務所に入るべきではない人たちがいるわけですよね。むしろそこへ行くまでの間の裁判のあり方がおかしい。だから刑法を抜本的に変えなくてはいけないんだろうと思いますが、執行猶予を増やすだけで本質が解決する問題ではないですよね。

田鎖 一部執行猶予の場合、たとえば薬物使用の罪で刑務所に入った人に対しては、刑務所にいる時、その後の執行猶予中の保護観察期間を通して、一貫したトリートメントを受けてもらって、より良く社会に復帰してもらう、構想としてはそういうものなんですね。でも、そのためのリソースがちゃんとあるかというと、不十分なところが問題なんですが……


女子刑務所特有の問題とは

田鎖 刑務所、とりわけ女子刑務所の問題に関しては、政治家時代から関心がおありだったんですか?

堂本 千葉県知事時代の話でいうと、千葉県は、知事公舎の隣が千葉刑務所なんです。大きな刑務所なのに、近くに更生保護施設が一か所しかい。住民に反対されるのでつくれないんですね。本当に差別がひどいと実感していました。それから、保護司さんたちがどんどん高齢化していて、なり手も少ない。だけど、その方たちが本当に一生懸命やっていることは、保護司さんの大会に出て知りました。刑務所に入った人たちは出所後が大変なんだと、認識せざるをえませんでした。 法務副大臣の女性秘書に頼まれて、女子刑務所を見学に行ったのですが、とてもたくさんの問題が見えてしまった。刑務官の方とも一時間半くらい話したのですが、どんな難しい事例があるのかを聞いてみると、「高齢者や障がいを持っている人など、処遇困難な人が増えている」と言われたんですね。あと、摂食障害の問題を抱えている女性も多いと。にもかかわらず、福祉や介護の訓練をまったく受けていない刑務官が、熱意と正義感だけで仕事をやっていました。

田鎖 刑務官も燃え尽きちゃいますよね。

堂本 それでも体を張って頑張ってる姿を見て、これでは両方にストレスが溜まってしまう。これは本当に簡単なことじゃないなと実感したんです。不思議なのですが、国会議員になった時も、新しい課題に直面した時は、天命というか宿命というか、何としてもやらなきゃいけないんじゃないかと思っちゃうんです。ただ、刑務所問題は一人では出来ない。それで相談したのが、南高愛隣会理事長の田島良昭さんでした。彼は刑務所の中に障がい者が多いということに早くから着目されて、厚生労働省と法務省を繋ぐような役割を果しておられますが、取り組んでいたのは男性刑務所の問題で、その中に女性は入ってなかった。私が女性刑務所で起きている問題について話したら、「盲点を突かれた」とおっしゃったんです。すぐに調査グループを作りましょうということで、医師や法律家などにに呼びかけたところ、皆さん賛同して下さいました。法務省の中でも、女性の職員を中心に女子刑務所の研究会を立ち上げて活動されていたようですが、上にあげてもなかなか改革は進まなかったようです。そこで「女子刑務所のあり方研究委員会」の活動が始まったんですね。私たちは、和歌山、福島、麓の各女子刑務所を回って、問題の洗い出しを行い、谷垣法務大臣に進言したんです。大臣も非常に関心を持って下さいました。女子刑務所の中では医療をはじめ、あらゆる問題が山積しているんですが、私たちが最初に取り組んだのは、「地域との連携」でした。刑務所はやはり、地域の中でも孤立しているんですね。もっと、地域の人たちが協力できることがあるのではないか、差別の壁を取り除くべきなのではないか、と考えました。それと並行して、委員の医師のには、法務省や刑務所の職員に対して、摂食障害の症状や女性特有の医療問題についての勉強会を開いていただきました。

田鎖 本当に、現場でもどうすればいいか分からなくて困ってるんですよね。実際に日弁連にも、性同一性障害の受刑者の方から人権救済申立ががありました。刑務所では生物学的に男か女かでしか分類しません。例えば、性別適合手術をしていて、見た目も女性と同じというような方は隔離してもらえるんですが、そうでない方は男性扱い。専門家から見ると「よくこの人は自殺しないで生きていられる」というような状況だそうです。どんどん本人を追い詰めていくし、それが原因で処遇困難になってトラブルも起こりやすくなりますね。

堂本 男性と女性だけじゃないのよね。そこに性同一性障害もあるし、同性愛の問題もある。女子刑務所のあり方研究委員会ではそれぞれ専門分野をお持ちの方が集まったので、多角的な展開を考えていて、障がい者の問題、高齢者の問題というふうにみんなで手分けしてやって研究をはじめました。そうした中で、「医療」と「地域との連携」の問題に徐々に絞られました。それから、法務省が女子刑務所の問題に具体的に取り組むようになったので、私たちはバックアップする側にまわって、助産師会、看護師会、女医会に協力を呼びかけたり、厚生労働省と法務省を繋ぐ、きっかけ作りなどをしています。


問題解決の鍵は、まず「知ること」

堂本 今になって、知事として申し訳なかったと思うのは、それぞれの都道府県では毎年、都道府県民に対する医療計画を立てるんですが、その中に刑務所の受刑者が入れていなかったことです。

田鎖 刑務所は厚生労働省の管轄ではないので、必然的に漏れてしまったということですか?

堂本 でも国からの地方交付税は、その方たちの分も都道府県に入っているんです。だから、理屈から言えば入れなきゃいけない。

田鎖 すごい!そこに気がついた人って、今まで誰もいないと思いますよ。

堂本 そうですね。でも法務省は気がついていたと思いますが……。千葉刑務所にあんなに大勢の受刑者がいたのに、その人たちが医療計画の中に人数として入ってなかった。そういう構造的な問題があるんですよね。それを破っていくためには、地方自治体と連携して活動しないとダメですね。日本ではやはり、こういうことの弊害になっているのは縦割り行政の問題です。

田鎖 刑務所の中で結核が蔓延することが稀にあるんですが、保健所が調査をしようと思って行っても、患者である受刑者と面接できる施設もあれば、「親族でも関係者でもないから」と言って会わせない施設もあるという問題があります。

注:なお、その後、厚生労働省厚生科学審議会結核部会は、保健所に向けた対応指針をまとめ、管内の刑務所で結核患者が報告された場合、刑務所の担当者と協議し、かつ、患者とも面会して、治療終了まで連携して支援することとした。これにより、刑務所側の対応も改善されるものと予想される。

堂本 そんな型にはまったことしたら、もっと蔓延しちゃうじゃない。

田鎖 縦割りの大きな弊害ですよね。人の命に関わることなのに。だからむしろ、刑務所側も「あり方研究委員会」の方々に外と繋いでもらって、本当にありがたかったと思いますよ。

堂本 外にいれば陳情やデモなんかで訴えることもできるけど、刑務所の中の人たちにはそれができない。「なぜ罪を犯した人の応援をするんだ」と言われるかもしれないけど、それ以前に、国が自由を拘束しているのだから国にはその人達の健康には責任があるのに、それがちゃんと果たされていない。医療と過剰収容の問題はどこでも共通しているので、解決に向けて取り組もうと思っています。 今は女子刑務所の収容者の 38%は窃盗、40%以上が薬物で、合わせると約 80%になりますよね。その中でも高齢者は窃盗。万引きが多い。医師の方に聞くと、摂食障害の病症として万引きがあるんですって。だから、もし摂食障害が治れば万引きはしなくなるということ。また女性の場合、特に男性と違うのは、思春期、出産、更年期で、健康状態が常に変化するんですね。例えば、更年期障害はひどいと病気のような症状が出ることがありますが、そのことを知らないと「怠けている」というふうに捉えられてしまうかもしれないでしょう。監督する側にとっても、される側にとっても、誰にとってもストレスじゃないですか。一生懸命やってる刑務官にとっても気の毒です。

田鎖 原因が分かると、急に楽になるんですよね。本人も、たぶん刑務官も。

堂本 労働を科すことで罪の償いをするというのが日本の刑務所ですが、海外ではリハビリテーションに重点を置いている。これは女性だけの問題ではないと思います。

田鎖 障がい者や、女性の問題であれば、誰もが理解しやすい。そこをきっかけに徐々に関心の対象を広げて、突破していくというのはとても賢明な方法だと思います。実は普遍的な、人間の尊厳を認めるかどうかという問題なんだと。 日本ではまったく光が当たっていない問題の一つに、被収容者、を親に持つ子どもの問題があります。加害者家族を支援しようという動きはあるんですが、子どもの視点に立った支援がほどんどないんですね。ところが諸外国だと、被収容者の子どもがどのような困難に直面しているかという研究もあったりして、なかでもクエーカー国連事務所の人たちが死刑囚の子どもに着目して、「死刑囚の子ども達の未来に向けて」というレポートを発表しました。いま、日本でも、子どもの権利に関する活動をしている方々が、関心を持って下さっています。

堂本 日本と外国の差は、女子刑務所に限って言うと、母子という視点が少ないこと。私は、訪問した刑務所では必ず、「この中にお母さんは何人いますか」と聞くの。そうするとその数字が無いんですよ。例えば、ハワイの女子刑務所では、男性の所長さんが一生懸命やってるのが、親子をどうやって結びつけるかということなんです。乳幼児だけじゃなくて、10 歳以上の子どもが母親に面会に来て、赤ちゃんみたいに抱きついて離れないの。そういう瞬間が子どもにとっていかに大事かということを理解している。

田鎖 日本の施設は逆に、子どもを面会に来させまいとする構造を作ってますね。私も、小さな子どもを置いて受刑しなければならない母親の弁護人だったことがあるんですが、子どもはお母さんに会いたいのに、児童養護施設の職員が母親を犯罪者として見ているので、面会させることにとても否定的なんですね。矯正施設の側は、家族用の面会という配慮はしないので、冷たい暗い部屋でアクリル板越しの、異様な雰囲気の中で子どもが恐怖を覚えてしまうんです。

堂本 例えば、スウェーデンのような福祉国家でも犯罪はなくならない。犯罪をいかに減らすかということが国の在り方で、それの極限的な場所が刑務所であり、いかに再犯させないための措置を取れるかということが大事なんですって。 千葉県知事時代、障がい者に対する差別をなくす条例をつくったんですが、その時に直面したのが、「差別をなくす」と言うけれども、差別とはいったい何なのかということ。障がい者の側にも行政の側にも、一般の人にも分からない。障がい者差別がどういうものなのか調べましょうということになって、800 人に「あなたはどんな差別を受けましたか?」というアンケートを取りました。そうすると、ありとあらゆる差別が出てきた。思いもよらないような差別、差別されていると勘違いしている障がい者、差別をしていないつもりだったけど差別をしていたということにも気づかされました。具体的にどういうことが差別なのかを示さないと、それをなくして下さいということが言えない。例えば、ホテルやレストランに盲導犬と一緒に入れないとか、そういうことが差別だとすれば、できるだけなくして下さいと具体的に言える。そういったことを自分の経験として、今後の活動にも活かしていけると思うんですね。刑務所から出た人への差別をなくしていく社会を実現することが再犯の防止につながると思います。地域住民の理解が大事です。

2014年3月27日、東京都内にて



第2回平岡秀夫さん(弁護士、元法務大臣)

今回は、2011年9月から2012年1月まで、野田内閣のもとで法務大臣を務められた平岡秀夫前衆議院議員(民主党)に、法務大臣の仕事を振り返っていただきました。平岡さんは法務大臣として死刑制度の存廃について国民的な議論を展開するため、制度の賛否を含め様々な立場の有識者による有識者会議を立ち上げようとされました。今回は、海渡雄一副代表も加わってのインタビューです。


「法務大臣の仕事を振り返って」

少数者の視点を育んだ土壌

田鎖 民主党が与党になる前に、平岡さんが法務委員会でご活躍していた頃から、一方的に存じ上げておりまして、実は陳情に伺ったこともありました。人権感覚の鋭い質問や活動をされるな、と注目していまして、東京大学法学部・大蔵省(現・財務省)を経て政界入りする人は、自民党から出馬する、という私のイメージと大きなギャップがありました。まずは、平岡さんは政治家をどうして志されたのか、何をやりたいと思って政治の世界に入られたのか、からお尋ねしたいと思います。

平岡 私、生まれ育ちが山口県です。ここの風土として、政治に対して、右も左も純朴な人が多い。例えば、明治維新以後、総理大臣経験者を8人輩出。安倍現首相もそうですね。他方、宮本顕治氏や野坂参三氏(いずれも日本共産党)も山口県出身。私は、岩国市出身ですが、岩国であれば、河上肇、末川博という人たちも母校の先輩にいます。どちらかというと非常に純な人が多いような気がします。

私が大学に入ったときは、法学部出身で学者になろうと、とくに憲法学者をやりたいな、と思っていました。その頃、まだ末川博先生もご存命で、ご自宅に尋ねて話に行ったのですが、「大学者なのに俗っぽいな」と思ったんです。なぜそう思ったかというと、我妻栄とご自身を比較するんですよね。大学者になっても俗世間からは離れられないんだなと思って、それで、弁護士になって、俗世間にどっぷりつかりながら、やりたいことをやってやろうかとも思いました。

そこで、公務員試験と司法試験の両方を受けました。ところが、公務員試験は受けたものの、官庁訪問にどこもいかなかったんです。司法試験の方が終わって、時間に余裕ができたところで、初めて行った官庁が当時の大蔵省でした。そうしたら、採用担当の課長補佐の方が出てきて、昼食はまだだと言うと、大蔵省の共済組合の食堂の20円割引券をくれたんですよ。そこが好印象で。司法試験は合格しましたが、弁護士はいつでもなれるだろう、ということで、公務員にとりあえずなろうと就職しました。他方で、実家は農家で、父親は地方公務員でしたから、お金もうけの人生というのはあまり考えていなくて、社会の役に立つ仕事をしたいなと思っていたところでもあったので、公務員になった次第です。そして、いずれは弁護士にと。

ところが、公務員は1、2年でポストが変わる。そうすると、新しい仕事ができるから、面白くはあった。そんなわけで、22年間勤めてしまったわけです。

私が、公務員を辞めた当時は、公務員バッシングが激しい時代でした。官僚の不祥事などでやむをえないところもあったですが……。とくに大蔵省は接待問題などあったので、矢面に立たされていた。そんなときに、地元から市長にならないかと誘われました。いろいろ考えて、そんな時代だったので、公務員としてのやりがいがこの先どれだけあるのだろうか、ということと、一生振り返ったときに「ああ、あの時こうすればよかったな」と思うよりも、「こうしなければよかったな」と思う方が納得できると考えました。そこで、市長選挙に出馬しましたが、見事に落選。そこで、広島で弁護士活動を始めました。その4ヶ月後、民主党から国政に出ないかと声がかかりました。ですが、当時民主党はまだできたばかりで、自分にも馴染みがなかった。どんな政策なのかを勉強し、違和感がないなと考え、出てみようかと思った。ところが、山口県は自民党が強いところでもあるし、父親が公務員を退職して、農協の理事やっていました。それで、父親に聞いたのですが、出馬しても別に困ることはない、と言われ、出馬を決意したんです。

先ほどの、田鎖さんのイメージからすると、なんで自分は自民党ではないのかと、というところですが……。当時の自民党ならば私は良かったと思うんです。宮澤喜一の安全保障論には共感していましたので。民主党の「リベラルの会」で、生前、宮澤氏のところに、安全保障論について話を伺いに行ったこともあるくらいです。でも、今は右傾化が進みすぎて行きたくない。今は他の政治勢力を国民とともに育てたいという危機感があります。だから、政治家はやめられない、とくに山口県で、その灯を消すことはできない、という気持ちがあります。

田鎖 平岡さんのそうした意識というのは、岩国市という土地柄によるのでしょうか。例えば、岩国には米軍基地がありますが。

海渡 米軍基地が岩国に置かれた経緯というのは?

平岡 戦前から海軍の航空基地がありました。戦後それを進駐軍が使って大きくしていった。当初は、騒音の軽減と墜落事故による被害の最少化のために基地を1キロ沖合に移転して欲しいという話でした。ところが完成間近になったら、国が在日米軍の再編問題で、厚木の基地を岩国に移すということになった。当時の市長は、それは困る、基地の沖合移設の趣旨が違う、と抵抗しましたが、当時の自公政権が、元々決まっていた市役所の建設費用としての補助金45億円のうちの残りの35億円を出さないと言い出したわけです。私は、猛反発して、国会議員として国会でがんがん質問もしたし、反対運動にも参加しました。

いずれにしても、基地とは切っても切り離せない土地柄であるのは確かです。とくに私がいた小中学校は、川下地区という三角州の中にありましたが、その3分の2は米軍基地なんです。そういうところで育った。さらに、元々の実家は基地に一番近い民家。子どもの頃は、米国は経済的に圧倒的に強かったですし、日本人に対しては植民地のような意識でした。だから、自分の中には、外国の軍隊はいなくならないのか、基地がなくならないだろうか、という意識はずっとありましたね。

田鎖 そういう意味では、子どもの頃から、物事を少数者の視点から見るというところはあったと言えるかもしれませんね。

平岡 ただ、基地の反対運動を担っている人は、地元ではなく、外から来た人が多い。反対の気持ちを持っているけれども行動には移せなかった。だからそこは、物事を変えるためには、デモンストレーション的な活動よりも、政権中枢のなかで変えていくという方向にいく地域性があるのではないかと思っています。


法務大臣としての現場の難しさ

田鎖 さて、平岡さんは、民主党政権下では、江田五月氏に次いでの5代目の法務大臣でしたね。引き継がれた時には、東日本大震災以後ということもあり、課題も多い時期でしたが、法務大臣になって達成したいという目標はありましたか。

平岡 いろんな懸案事項がありました。まずは、共謀罪。国際組織犯罪防止条約を批准しなければならない、そのために国内法整備が必要だが、整備されていないので批准できない、と言われた状態が続いていました。でも、批准は可能だったんです。だから、自分の代でけりをつけなければならないと、法務省の官僚ともやりあったが、らちがあかないということで、自分でいろいろ調べていた。ただ、それも中途で終わってしまった。現在、共謀罪はたいへん危険な状態だと思っている。

もうひとつは、少年法の問題にも取り組んで来ました。就任前の問題としては、国選付添人の拡大をやらなくてはいけないと考えていましたが、次の予算年度でやろうということで一致していたところで任を解かれてしまったんです。今は、検察官関与・厳罰化とバーターにされてしまっています。実態というものを踏まえた政策づくりをして欲しいと進めていたのですが……。

そのほかには、取り調べの可視化、法曹養成制度も大きな課題としてありましたが、ただ正直に言うと、これはすぐに結論は出せない問題でした。方向性としては、全面可視化は原則だが例外も必要だ、ということで試行の過程にありました。法曹養成については、法科大学院と司法試験の連携に関する法律の見直し時期が5年後と定められていて、私の任期中はまだ5年たっていませんでした。法曹養成のあり方を見直すのなら、この法律の改正が必要になるのであって、給費制の問題だけに特化することは問題視していました。そして、死刑の問題。千葉景子元法務大臣が先鞭を付けていましたし、民主党の政権インデックスに書いてあった基本的方向性を尊重し、取り組むつもりでした。

田鎖 平岡さんは、監獄法改正の際にも民主党のネクスト法務大臣でいらしたので、基本的な問題は分かっていらっしゃるということで、私たちは歓迎していました。

平岡 一人が大きなことを言っても、手足となって働いてくれる人が周りにいないと物事は動かないですよ。なかなか……。

田鎖 先生は、元官僚ということもあり、官僚組織については熟知していたと思うのですが、法務省の官僚とはいかがでしたか。

平岡 彼らは、政治家の役割と、官僚の役割について分かっていた。また、自分も論理性は大切にする方ですから無茶は言わない。論理的構成で官僚と議論してきました。彼らもその論理ならば賛同するところもあれば、その論理は受け入れられない、というところで話し合って来ました。中には協力したいが、なかなか現実が、という人もいた。法務省というよりも、私としてはむしろ外務省が硬いと思いました。例えば、日米地位協定の軍属の裁判権の問題で、沖縄県で起きた交通事件で、被告人である軍属が不起訴になり、その後検察審査会で覆ったという事件がありました。この事件をきっかけに地位協定の運用改善を論理的にこちらとしては主張しましたが、外務省側は、対米配慮ということで……。

海渡 外務省は、アメリカが絡んでくると論理がなくなるような印象がありますよね。田鎖 論理的に話ができるとはいえ、「でも、現実が……」というところで物ごとが前に進まないということについて、とくに死刑問題を法制審議会で議論しようと、平岡さんが提案されたら官僚にできないと言われたという出来事は象徴的だと思うのですが。


死刑を巡る国民的議論を盛り上げるために

平岡 死刑の問題は、国民的議論をやっていこうと民主党は提案していましたし、私もそう考えていましたから、では、法制審で議論しようと。ところが、法制審というところは、何らかの方向性が見えているものをかけて、結論を出していくものだ、と言われました。そこで、有識者を含めた勉強会で国民的議論をやろうじゃないかと提案してこれを進めようとしていたところだったんですよね。

海渡 その勉強会の具体的な構想はどういうものでしたか。

平岡 その前に、有識者会合を立ち上げるには色々な問題があると言われまして、有識者会合を始めるに当たって考えられる問題点など、34項目の質問に答えるよう求められました。それに対して、休日を使って調べて答えていきました。

田鎖 それは、大臣がやることじゃないですよ! でも、平岡さんだからできたことですよね……。

平岡 さらに、勉強会に誰を入れるか、具体的な名前はいろんな方面から提案して頂きました。死刑維持派と死刑廃止派とその中間派をそれぞれ入れて、具体的に公開の場で議論するというものでした。ですが悩ましかったのは、廃止派については、有名な人はたくさんいましたが、存置派については、これという人があまりいなかった……。

田鎖 不思議ですよね。弁護士会などでシンポジウムするときにも、いつも同じように悩みます。世論調査からすると、存置派の方が多いはずなのに……。

どうやって廃止に向けた影響力を大きくしていくかを考えたときに、ある有力な学会の理事をやっておられる研究者たちの考えを見極めようとしました。ところが、ご自身の立場を明らかにされない方が多い。たぶん廃止がよいと考えているだろうけれど表だっては言わない、という人が大半だったと思います。死刑の問題について立場を明らかにすると一定の色がつくとか、立場が限定されるとかいうことがあるのかもしれません。

海渡 でも、1950年代頃は、学者も法務官僚も死刑廃止について公に発言していたんですよ。例えば、羽仁五郎議員(当時)が死刑廃止法案を提出したときに、これを応援したのは法務官僚だった。そういう時代があったのに、1960年代以降、法務省内部で廃止を公言する人が出世できなくなったんでしょうか……。それはなぜなのか不思議に思っています。

田鎖 それは、あの時代、法務省幹部が検察官ばかりじゃなかったこととも関係していませんかね……。

平岡 世論調査はいま85%が死刑存置。これについても、1960年代は、存置が6割くらいだった。それ以前はもっと拮抗していた。今や、死刑問題が聖域になってきている時代になっている感じがしますよね。

田鎖 死刑制度に異を唱える人は、本当に非国民扱いですよね。

海渡 1960年代は、まだフランスにもイギリスにも死刑があり、死刑があったのは日本だけじゃなかった。その時代には、日本国内でも死刑はよくないと普通に言えた。ところが、世界で死刑廃止が潮流になってくると、日本のなかでは、とくに公の立場にいる人は、死刑廃止を口にしてはならない、という状況になった。死刑廃止を言うと反体制的な意見と言われるような不幸な状況が生まれてしまった。

NHKの大河ドラマ『八重の桜』では、先週の回は、ちょうど、平岡さんの出身地の偉人、吉田松陰が刑死した場面がありましたが、ご覧になりましたか。

平岡 政治囚の死刑がもっと問題になっていたら、変わったかもしれないですね……。昨年、韓国に視察に行った際に、出会った高校生が、死刑がないことが当たり前の社会で育って来たから、なくてもおかしいと思わないと言っていましたね。

田鎖 私たちは、まやかしを見せられているんですよ。死刑になる被告人は本当に一握り。でも、制度として日本には死刑があるから、自分の事件については死刑にならない、といって被害者遺族がもっと死刑を、と求めるんですよ。

ところで、平岡さんが法務省内で勉強会をやっているときに、海外から有識者を呼んで来てまでやったのに、なかなか報道されないという問題がありましたよね。皮肉なことに、平岡さんが法務大臣を辞した後、執行も再開されましたが、同時にメディアが死刑の問題を積極的に書くようになり、独自取材もするようになった。

海渡 谷垣現法務大臣は、議論だけはしなければ、と思っているんじゃないでしょうかね?

平岡 谷垣さんは、リベラルな思考パターンを持った人だから、問題提起はすると期待しています。執行はするかもしれないが、そこでおしまいということにはしないのではないでしょうか。

田鎖 疑問に思えば、勉強して取り組むだろうと思います。

海渡 法律家だけではなく、哲学、宗教、芸術といった領域の人たちと議論をすれば、議論は深まるのではないかと思っています。

田鎖 タブーな部分が崩れつつあると思います。そういう中で、平岡さんが大臣当時に考えておられた国民的議論の具体的な構想が必要だと思います。

平岡 当時の法務省内の勉強会は、死刑執行についての議論に移していくこととし、私が考える有識者会議では、存廃についての議論をしたいと思っていました。国民的議論にプラスになるのでしたら、私が大臣当時、先ほどの34項目の質問項目への回答など、どんなやりとりをしたのかを発表していきたいですね。

田鎖 今年の夏に参議院選挙がありますが、平岡さんは、準備をされておられるんでしょうか。


政治家としてのこれから

平岡 政治との関わりは今後どうするのかについて言えば、今の情勢から、中道・リベラルな政治勢力、しかも政権担当能力のある勢力を作っていかないと行けないと思っています。その灯を消すことは自分としては避けたい。支援者の皆さんには「捲けんどちょうらい土重来を期きす」と述べて、引き続きの支援をお願いしているところです。そこで、いま念頭にあるのは、3年半後の衆参同日選挙、ここを目標にしています。

田鎖 先生は本当にしっかりした考えを持った立派な政治家だなと思います! 立派な政治家に当選してもらうためにも、市民社会が育たないといけないなと思っています。

2013年2月5日、東京共同法律事務所にて編集・桑山亜也(CPR事務局)



第1回寮美千子さん

第1回のゲストは、奈良少年刑務所で詩作による社会性涵養プログラムの講師をされているほか、死刑制度をはじめ様々な社会問題にも果敢に発言されている作家の寮美千子さん。お仕事でも人生においてもパートナーである松永洋介さんも交えて3人で3時間にわたって熱く楽しく語り合いました。罪をおかした人たちの立ち直りのために必要なこと、大切なことは、実は、私たちの日常生活においても必要で大切なことだと気づかせて頂きました。

【寮美千子さんのプロフィール】
外務省、広告制作会社勤務、フリーランスのコピーライターを経て、1986年、毎日童話新人賞を受賞、童話作家としてデビュー。2005年、DVを扱った小説『楽園の鳥』で泉鏡花文学賞を受賞。奈良市に在住。2007年より奈良少年刑務所社会性涵養プログラム講師。2010年、授業の成果を編纂した『空が青いから白をえらんだのです―奈良少年刑務所詩集』(長崎出版、2010年;新潮文庫、2011年)を発表。


差別意識は学習するもの

田鎖 寮さんのプロフィールを拝見しましたが、ユニークですよね。先日刊行された『死刑廃止年報2012年版』(インパクト出版会、2012年)掲載のインタビュー記事も拝見しました。奈良少年刑務所の矯正展に行かれるまで、刑務所には関心がなかったのに、すっと抵抗なく現場に入って行かれたことがすばらしい。私のような頭の硬い人間からすると柔軟というか……。やはり想像力でしょうか、物語を書かれる方ですし。

差別意識というのは学習して得るものだと思うんですよ。学習しなければ差別できない。私には、それを学習する機会がなかったんです。

50歳で、関西に来て、「あそこは被差別地域なんだよ」とか、近所の人から「在日だよ」「生活保護もらっているんだよ」というような話を聞いて、知らないことは罪だなと思いました。社会の上澄みみたいなところで、文学をやらせてもらって、皆の余剰なお金で私は暮らせているわけですし、そういう社会の周縁的なところで生きている人たちのこと見なくちゃいけないなと思いました。

田鎖 たしかに差別意識も人権意識も、自分の子どもを見ていると日々学習するものだなとわかりますね。

だから私みたいに守られて、見なくてもいい環境にいて、ある日ふと知ってしまうと、「なんで?」って思ってしまうんでしょうね。

田鎖 でも、そこで「なんで?」って思えるところが違うんだと思いますよ。「私は知らない」って変わらない人も大勢いると思いますよ。

実は前から気になっていたんでしょうね。私は、小学校から高校まで周りは「いいところの子」ばかりだった。でも、高校になると、ちょっと違う文化の子がいて、すごく驚いた。まず言葉が違う。荒っぽい言葉を使う。通っていた高校は、付属校から上がる子ばっかりだったから、付属出身同士で固まるの。私はそのときに、何も知らないままでここにいていいんだろうかと思ったんです。だからあえて、他の出身校からきた友達と仲良くしようと努めた。

田鎖 私は、逆に、ずっと地元の公立校に通っていて、高校で付属校に入って内部進学の人たちと出会って、びっくりしましたね。

集団を形成している子どもたちは、自分たちはそれが当たり前で暮らして来たから気がつかない。そこに私は文化的なギャップがあった。このときから私の人生は変わったのかもしれません。


目の前で変わっていく少年たちに驚き

田鎖 奈良少年刑務所での「社会性涵養プログラム」を始められて、もう長いですよね。

松永 6年目になりますね。

1期半年間で、1月に1回ずつでやっています。

松永 最初の1期だけは、8回、8ヶ月間でやりました。

でも、それだとたくさんの人数が受けられないからというので、6回になりました。1年で最低20人は受けられるようにしたいということで。ちょっと物足りない気はするんですけどね。

田鎖 それでも、月に1回行くのは大変じゃないですか?

大変どころか、行くのが楽しみですよ。

田鎖 松永さんと一緒に行かれるんですか?

ずっと一緒に行っています。2人1組でやると、私とは違う物の見方や話があるからおもしろいですよ。少年たちにとっては、男女の先生がひとりずついるのはいいことです。

田鎖 私もそう思います。刑務所の中は男性ばかりに偏っていますからね。欧州などの刑務所にいくと女性の刑務官がけっこういます。外の社会の男女のバランスにできるだけ近づけようとしているんです。

最初は、怖いからボディガード代わりだったんですけどね(笑)。でも、対話するのにも視点が違うので、いろんな方面からいろんなことを少年たちに返せていいです。

田鎖 受刑者の人たちの生い立ちを見ると、生きづらさというか何らかのハンディを抱えている人はすごく多いと思います。しかも成人になってから、そういうハンディをサポートしていくのは、とても難しくなると思います。結局、皆が匙を投げるような難しさを抱えた人たちが刑務所に入ってくる。

まさに刑務所はそういう「エリート落ちこぼれ」が来るところですね。

田鎖 その点、寮さんのやっている社会性涵養プログラムは、従来の刑務所でありがちなプログラムと違って、すごくいいなと思ったんです。従来であれば「やりがいのある」人、打てば響く受刑者だけを集めてきて、扱いに困る人たちは切り捨てるというやり方だったと思うんです。今回のプログラムについて読んで、そうではないというのが素晴らしいと思いました。

工場で、タイミングが合わなかったり、人より作業が遅かったり、よく間違ったりと、とにかく困った子というのがいて、会話もちゃんとできない。そういう子がいると、工場が全体としてうまくいかなくなってしまう。陰ではいじめが起きることもある。そういう子が皆とうまくいけるように、少しでも変えてあげると、工場全体がほっとする。皆が心地よくなるんです。

田鎖 そこは大切なところだと思いますし、日本の刑務所に一番欠けているところでもあります。困った人は、昼夜間単独室処遇にして、他の人と触れさせない、騒いだらすぐに保護室に入れて……というような処遇をしてしまいがちですから。社会性涵養プログラムの効果はどんなふうにあらわれてきていますか?

例えば、工場にも出てこない「刑務所内引きこもり」だったのが、私たちのプログラムにだけは出てくるようになった男の子がいます。

田鎖 どうやって出てくるようになったんですか?

彼を連れてくることは私たちの仕事じゃないから、最初は、教官がずっと辛抱強く説得します。交換日記のようなものもやったりとか、いろんなかたちで働きかけをして、「とにかく1回出てこようよ、そんなに怖いところじゃないから」と言ったりとか。それで一度出てくると、ここならいられそう、ということで続けてプログラムに出てくるようになる。すると工場にもぼちぼちと出て行けるようになるんです。まずは教官たちがすごいんですよね。

田鎖 ご著書を読んでいて、プログラムをやるなかで、最初は問いかけてもだんまりという少年たちに対して「待つようにした」という部分があるんですが、これがすごいなと思って。私は待てない母親なんで……。

私も待つことは苦手で、最初は焦りました。しゃべれない子がかわいそうで。何か助け舟出してあげた方が、彼がほっとするんじゃないかと思っちゃったんです。でも、教官から「待ってみてください」と言われた。それだと余計追いつめるんじゃないかと思ったんだけど、試しにやってみた。そしたら本当に効果があるの! 化学実験みたいに効果が出たんです。びっくりしました。

松永 何も言葉を発しなかった子でも「パスします」「今はダメです」とかは最後には言えるようになる。教官たちが言うには、少年たちは、現実の社会に出たら、助け舟はやってこない。だから今助け舟を出すと彼らの自立を妨げてしまう、と。

田鎖 自分の子どもに重ねて考えてみると、彼らなりに一生懸命考えているんですよね。私が助け舟出すと「やめて! 今考えているんだ」って返されることがあります。

待っているということを続けていくうちに、次回、自分が話す番がくると、今度は沈黙の時間が短くなります。半分くらいに短くなる。しゃべれない子の沈黙の時間がだんだん短くなっていくんです。

松永 でも、それって社会には待ってくれる人が誰もいなかったことの裏返しなんですよね。

最初は、私たちも教官も、待ち続けることで他の子の時間を奪っていて悪いなと思っていました。だけど、わかったのは、みんな待ってくれているということを彼らもそこで学習するわけです。そうすると、自分がしゃべれなくてもみんな待ってくれるだろうと思うから安心する。そうするとしゃべれなかった子どもたちの言葉が出てきやすくなるんです。

松永 そういう状況を見ていると、社会人向けとか、全部の小中学校とかで、いま私たちが刑務所でやっているようなプログラムをやってみたらいいと思います。人の話を聞くっていう経験は、いまなかなかないでしょう。聞いてもらうっていう経験もあまりない。

私、いろんなところで講演活動しているのですが、驚いたことに、ある進学校の学生さんたちに話をしたときに、泣く子が一人もいなかった。きょとんとしているの。この子たち感受性を削って来てしまったのかな、と。

田鎖 少年刑務所の少年たちのほうが、感受性が高いと言えるかもしれないですね。

刑務所の少年たちは痛い思いをしてきている。だから、いったん心を解きほぐして開くと、痛い思いをした人に優しくなれる。思いがけないような優しい言葉をかけてあげることができるんです。そういう姿を見ていると、彼らは本当に悪い人じゃないなと。

田鎖 そう思います。どこかしら不器用なところがないと、刑務所には入らないですよ。


社会性涵養プログラムは刑務官も変える

ある日、「寮さん、本読みました。感動しました。サインしてください」ってわざわざ控え室に来てくれた刑務官がいました。その人は、私より年上で、長いあいだ刑務官をやってきて、受刑者には厳しくやっていれば彼らにとってもいいと思ってきた。でもこの本を読んで、「それだけで良かったのかな、もっと違う方法がある」と思うようになったと言うんです。

それから、守衛さんにもこんなことを言われました。その守衛さんは、地元採用でずっと守衛さんだけやってきた人。だから刑務所の中のことを知らないんですって。その方が「先生、この本を読んで、うちの刑務所でどんなことしているかわかりました。うちの刑務所いいことしているんだな」って言われました。

こんなおもしろい話もあるんですよ。本を出す前に校正刷りを読んでもらった教官が、それを家に持って帰って、食卓の上に置いて寝てしまった。妻がそれを読み始めたら朝の4時半頃まで読み通してしまって、朝、その教官を起こして「読みましたよ。あなた立派な仕事をしているんですね」って。

田鎖 何か物語がつくれそうなお話ですね!

松永 その妻は、30年ぶりに夫の仕事を知ったんだそうですよ。

田鎖 刑務所では守秘義務は厳重ですからね。

刑務所の内実が世間に知られていないから、「刑務所では受刑者を人間扱いしていない」みたいに誤解されているという話も聞きました。

松永 刑務所に勤めているだけで差別されるという話もありますからね。

教官の先生たちが、自分たちも良くなったと言ってくれています。厳しいなかで仕事をされてきているので、社会性涵養プログラムをやっていることで、刑務所のなかで働いている人、少年たちを指導している人たちにも役に立っているようでうれしいです。

私たちもこのプログラムを通じて成長しました。いまも成長し続けていると思う。いっしょにプログラムを行ってきた刑務所の先生方と少年たちに感謝です。

死刑にはずっと前から反対です

田鎖 死刑について、著名な方で「私は反対です」と公表される方は、ほとんどいません。評価が気になるような仕事だと、特に難しいと思います。寮さんは、死刑に反対するようになったのは、刑務所にかかわってからですか。

いえ、私はそのずっと前から反対でした。人が人を殺すのはいかなる理由でもおかしいとずっと思っています。だから、死刑も戦争も反対。正しい戦争はない。死刑も同じです。正しい死刑があるという考え方もあるようですが、人を殺すことはすべて正しくない。難しいけれど、このことを共通理解にすれば、死刑も戦争もなくなる。人間は本来的にそうするべきだと思います。そんなことは理想論だと言われますが、言い続けることが大切です。言い続けることで、いままで常識じゃなかったことが常識になっていくと思うんです。「男女平等」だってそうです。

田鎖 死刑に反対だと発言すると、クレームとか来ませんか?

ありますよ。殺された人の家族についてはどう思っているのか、とか。

田鎖 私もよく言われます。

なぜ、死刑廃止と言ってバッシングを受けるかというと、犯罪被害者や家族へのケアが十分じゃないからだと思います。それが一番大きな理由。全く関係ないところで人生を奪われた人に対して「気の毒だね」と言いながらテレビ局が群がって報道する。そういうことしかしていない。それは癒しにも救いにもならないし、痛みが増すだけです。

その人たちにとって適切なケア、例えば、カウンセリングを受けたり、自助グループつくることに国がお金を払ってくれるとか、徹底的なケアをするべきだと思うんです。被害者家族がテレビ局からマイクを向けられて「極刑を望みます」と言うのは仕方ないと思います。人間として、そこまでひどいことがあれば、カッとなって言ってしまうものです。でも、それは非常に特殊な状態です。それが心からの言葉であるかのごとく、どんどん報道するでしょう。それこそ人権無視だと思います。遺族感情は死刑の要因のひとつになりますから、後で、自分のせいで人が死刑になったと思うときが来たら耐えられないし、そのことでまた新たな被害、悲劇が生まれる。

例えば、広島で起きた事件で、娘を殺されたお父さんが、「極刑を望みます」と言っていたけれども、途中からそれを言うのが苦しくなった。しかし、言葉を翻せなかった。たくさん報道されていたからです。「お前もう娘のことを忘れたのか、かわいくなくなったのか」と言われてしまうから言いたくても言えなかった。だから、被告人が死刑にならなくて本当によかったと思ったと。そういう記事を読みました。私は同じようなケースはたくさんあると思います。

「死刑で癒されるか? 償いになるか?」ということなんですよ。遺族は「ひとつの区切りが付きました」とは言うけれども、納得したという人はいないと思います。被害者が、本当に加害者が心から償っているということを知れば、何か自分の心のなかで収まりをつけることのできる他の方法はあると思うんです。そのためには、加害者が、償う気持ちが持てるようにするにはどうしたらいいか、ということです。懲らしめて閉じ込めたら償う気持ちが持てるでしょうか?

田鎖 加害者は、自分がこんなひどい目にあったと思うだけですよね。

「早く死刑にしてくれよ」という希望を叶えることが償いになるのかと。なるわけないでしょう。おかしいですよ。必要なのは、なぜそんな罪をおかすことになったのか。きちんと解明して、認知・心のゆがみを解きほぐして、人間らしい心を取り戻すような教育、触れあうチャンスが必要です。独房に閉じ込めても人間性は取り戻せないですよ。

田鎖 本当にそうなんですよ。死刑確定者は、死刑を待つだけの人だから、教誨も本人が希望しなければないし、人によっては面会もまったくないし、他の被収容者以上に外部との交流が認められていない。だから、がちがちに凝り固まってしまって大変な人もいます。

恐怖のなかで、心からの償いの言葉が出てくるわけないですよね。人に大切にされて、何か暖かいものを感じた時に初めて、「命って大切なものだった、そういう命を自分は奪ってしまった。なんて取り返しのつかないことをしたんだろう」と思う。そう思えるチャンスを奪っておいて、反省もないから死刑というのは、ひどいと思います。

裁判のあいだ、少年たちは、教育は受けられない。人とちゃんと接することができない。だから裁判確定前の少年たちに、この社会性涵養プログラムを受けさせてあげたいと思います。そして、彼らの心が開いた状態で、自分の罪と向き合ったときに、果たして彼らは何を言うのか。それを聴いてから判断してくださいと言いたいです。ひとりで放っておいてまともになるわけないじゃないですか。誰か面倒見てあげなくちゃ。それで反省していないから死刑というのはおかしい。

田鎖 時間をかけて弁護人や支援者との交流のなかで変わっていく人って確かにいます。それが、いまは裁判員裁判でスピードが速くなってきているから、余計に変化する姿を見せることが難しくなっていますね。それに、被害者のサポートを充実させなきゃいけないのに、死刑があることによって、それがないがしろにされている。

松永 死刑にするんだから、あなたは納得しなさいという話になっていますね。

田鎖 でも加害者が死刑になる事件というのは本当に少ないんです。ほとんどの殺人の加害者は、有期の懲役になります。死刑にならない遺族のほうが圧倒的に多い。だから、まやかしですよ。以前よりは改善されてきましたけれど、犯罪被害者給付金制度によって、被害者家族が受け取れるお金もまだ少ないし、受け取れる人の範囲も限定されている。例えば、家族内の事件だと受け取れません。そういうからくりがたくさんあるのに蓋をされて知らされないでいる。私たちは、そのことを広めて行かないといけない責任があると思います。


詩の力、言葉の力

事件の背景を考えると、そこにいくまで誰も救えなかった前提がある。それは、ある意味、社会全体の責任だと思う。私たちが、その人をそういうところに追い詰めてしまった。そういうこぼれてしまう人をつくったという私たち社会の一員としての責任をみんな持たないといけないと思うんですよ。そう言うと、「何でも社会の責任にしやがって」とバッシングされるわけですが……。

田鎖 自分の責任になるのは誰もが怖いんですよね。

だからこそ、破綻したときにこれをどうやって修復するかということは、私たちが最大限努力するべきことだと思うんです。そういう意味で、社会性涵養プログラムはがんばっていると思う。こんなに効果があがるとは夢にも思わなかった。私は最初、童話や詩、絵本というような柔なもので、人を殺すところまでこんがらがった人の人生をなんとかできるなんてないと思っていたんです。それはおごりだと思っていました。だからビックリしています。目の前で少年たちがどんどん変わっていくんですから。

例えば、目の前でチック症が突然止まってしまった子もいます。その子は「夏の毎朝の風は気持ちい(ママ)」という1行だけの詩を書いた。たったそれだけの詩を書いて読んだら、周りの子が共感してくれた。「そうだよな、暑いな」って。奈良少年刑務所は、エアコンないし、煉瓦の放射熱が熱いし……オーブンのなかに住んでいるようなものだから、朝は気持ちいいよなと。その共感の声を聞いたら、ぴたっと止まった。「こんな短い詩でどうかな……と心配だと言っていたけれど、みんなに聴いてもらってうれしかった」と言って。私は声が出なくなるくらいにビックリしてしまった。

その子が1カ月経って、次のプログラムに参加したときに、再発していました。症状は少し軽くなっていたけれど。その日は、その子の詩を発表する日じゃなかったので、あの子の詩を読んであげればチックが止まるのにな、痛ましいな、と思っていたんです。でも、他の子が詩を朗読して、感想を述べる番になったら、またチックがぴたっと止まったんです。感動でした。

つまり、1回受け止めてもらった体験があれば、次は誰か他の人の詩に感想を言うだけでも、自己表現であり、みんなが一緒に聴いてくれたというだけで、癒されてしまう。これは大変なことだなと思いました。

他方で、それだけの傾聴、受け止めをしてもらえなかったということですよね。彼は体験してこなかったんだなと。

田鎖 社会性涵養プログラムで詩作を取り入れるというのは、もともとそういうアイデアだったんですか?

社会性涵養プログラムは、もともとは何か具体的なプログラムというよりも、殺伐とした少年たちの心に潤いを与えたいと、漠然と考えられていました。始めは「少年たちに、ひとり1冊絵本をつくらせてやってほしい」と言われましたが、絵本づくりってそんなに簡単なことではありません。それでいろいろ試行錯誤していました。

でも、私は、詩がいいかなとは思っていました。もともと東京で、人々が集まって自作の詩を朗読するポエトリー・リーディングのイベントを月1回やっていたんです。それで、普段のおしゃべりでできないような話を詩の形で共有する時間を持つことで、癒しになったり、大切な時間になるんだと知りました。従来の文学系の詩の合評会というのは、技術論を議論するところ、文学としていかに洗練させるか、の文学青年の集まりだったんです。ところが、そのイベントには文学論は一切持ち込まない、とにかくその人の表現を聴こう、受け止めよう、そして、お互いにゆるく語り合おうというタイプの会を開いていました。その経験があったから、刑務所でも応用できないかなと思っていたんです。それで、詩をやりましょうということになりました。

田鎖 私も、ずっと法律書みたいな硬い物を読むことに偏っていて、文学からは遠かったんですが、年齢を重ねて、詩とか小説とか大切だ、必要だと思うようになりました。

多くのポエトリー・リーディングは、聞く一方なんですけどね。でも、そこに双方向性を取り入れたというのはあまりないと思います。みんなやったらいい。例えば、介護で疲れている人たちが集まって愚痴ではなくて、自分の思いを詩とか俳句とか短歌で発表してみたらいいと思います。そして、それをみんなで受け止めて言葉を交わし合うような場です。おそらく愚痴を言うよりもずっと救われると思います。

田鎖 やってみたくなりますね。

とにかく集まった人同士が受け止めあって集うという場所さえあれば、言葉は何でもいい。いまの時代、言葉の価値が低くなっていると思うんです。意味が伴って来なくなっている。携帯電話で大量に言葉をやりとりしているけれど、その言葉にどれだけ思いがのっかっているか、お互いの理解にどれだけつながっているだろうか、と考えると、その思いや理解はますます希薄になっていると思います。

言葉の価値が軽くなっているなかで、「詩」は特別なものです。詩を書けっていわれたら誰でも緊張するでしょう? それだけ詩の言葉に重みや価値を見出しているから緊張するわけです。その緊張のハードルを乗り越えて、「えいっ!」て書いてみんなの前で公表して、言葉をもらったときには、本当に深いところで受け止めてもらった実感を持つことができると思います。果たして、そういう時間を私たちは日常のなかで、持っているだろうか。なかなか持てていないですよね。

刑務所でプログラムをやっていて気づいたのは、話すこと、人との関わり合いのなかで、人は癒されたり、成長するんだということです。森か何かにこもって、たったひとりで哲学書とか読んで反省するということではだめじゃないかって。

田鎖 とはいえ、こういうプログラムは、誰もができることじゃないと思うんですけど。

そう言われるんですけど、私は誰もができると思います。たしかに私のキャラクターは寄与している。でも、1回でも体験したら次回は自分でできるはずです。だから広げていきたいと思っています。

田鎖 もっとこの社会のいろんなところでできたらいいですね。私も是非体験してみたいです。 (了)


2012年11月21日(水)横浜にて
編集・桑山亜也(CPR事務局)

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